目次
 
 
 音楽と場
 
 
 
 非商業音楽
 
 
 
 最初の一音
 
 
 
 自由な聴取
 
 
 
 聴衆の抵抗
 
 
 
 格納される音楽
 
 
 
 王様と召使い
 
 
 
 誰が泣きを見るか
 
 
 
 輸出した音楽


「音楽と場」
 
 初めまして、宇都宮です。わざとちょっと差別化を計っています。彼(司会者:富山裕之)が使うマイクは従来の音響システムにみられる割と普通のセット。つまり、普通に客席前方にあるスピーカーが鳴っているというだけ、というわけです。で、いま僕が喋っている声自体は、もちろん前のスピーカーからも若干出てはいますが、会場の四方に設置されたスピーカーから特別な仕掛け、特別でもないんだけどね。従来、電気音響ではなかなか得難いサウンドが得られるような工夫がなされています。

どう普通ではないかというと、私が喋っている位置からおそらく一番後ろの席の人も、ここで(宇都宮氏が座っている位置)聞こえていると思います。それに対して、従来のスピーカーというか音響システムだと、(スピーカーを切り替える)こんなふうに僕がどこでしゃべろうと、音は前方のスピーカーから聞こえてくる訳です。僕のこの位置からは聞こえない、ほとんど聞こえないと思います。

どういう意味があるかと言うと、従来音楽は音楽であり続ける必要があるのに、こういった電気音響を使うと「スピーカーから音が聞こえてくるのが当たり前である」というふうに慣れっこになっているだけで、実はそれは凄く異常なことな訳ですよね。もし、それを許すのであれば、こういった音響のテクノロジーは、もっと音楽の中に勧誘しなければいけないし、逆に言うと音楽は、それをもっと音楽のテクノロジーとして受け入れていかなければいけないのですが、今のところはそれがちゃんと並立できていない訳です。

今日のお題にある「音楽の未来 -私達はこうしている-」、すごいですよね。あの、灰野さんは明日コンサートがあるんで(註:二日目の11月25日に行われたライブ)、その中で思う存分演奏力にものをいわせれば良いのですが、私は明日、裏側で黙々と録音に取り組まないといけないので、直接的にリスナーの方々とこうやって接するチャンスは、今日しかないと。で、急遽こういったセットを少しだけ解説を含めてね。「私達はこうしている」の「実際にやってんだよ」という部分を、ほんの一握りですが、「音楽として音響のシステムを考える」というようなことのアプローチとして、ちょっとご披露と。まっ、それだけです。はい。

 だからこれは、今日は宇都宮さんのパフォーマンスというか演奏ですよね?演奏ではなくとも。

 僕が考えている音楽の重要な要素として「場」の要素というものがあります。つまり、「灰野敬二がここに来て演奏する」というのは灰野敬二と同じ空間、「場」を共有するということが感銘を受けるのであって、「彼のCDをかけて同じサウンドが出ている」というのは許しませんよね?

 うん(笑)

 でも、今の音楽産業のかなりの部分ってそれが多いんですよ。テープ流してるだけ、みたいなね。録音物を再生しているだけで、まぁ確かに「場」を共有していると言えば言えるんですが、全然違うことをやっている訳で。音楽には、僕は「場」が必携の要素であるというふうに思っています。ちょっと、最初僕のペースで進めてもいいですか?

灰・東 どうぞ。

 音楽の論理、あるいは理論、どう言っても良いと思いますが。中世、あるいはそれ以前にギリシャ時代まで遡っても良いですが、メロディだとかリズムだとか、ハーモニーだとかいろんな要因が必須で。必須というか、まあそのような要素があるというふうに従来言われています。他にも…、別にそれも必携では無いんですけどね。でも、重要な必携要素があります。それは何かというと、それが奏でられる「場」というものがあってそれらは初めて存在できるのであって、「場が無いところに音は存在し得ない」という訳です。まあ、もちろん聴き手の頭の中に存在するということも言っておられる作家も多いし、それも確かに一理あると思います。確かに、その通りだと思います。しかし現実、耳に入ってくる音楽というものは「場」が必携であると。でも、音楽の基本的な理論っていうか常識が産まれた時代には、そんなこと言わなくても音楽を奏でると必然的にそこに「場」が存在する訳ですよね。「場」の無いところで演奏するということは完全に絵空事な訳で、演奏者がいなくても「場」の中に音楽が存在するというぐらい、それは必携な要因だった訳です。

で、いつの間にこれが崩れてしまったかというと、1つには、こういった電気を使うようになって、録音以前に放送というメディアもありますが、とにかく離れた場所、異なる場所で音を聴く事、音楽を聴けるようになった時代以降ですよね。特にレコードだとかCDの時代になって、本来「場」について、もっと音楽の部分から積極的にものを考える必要があったんですが、まあ誰かが怠ったのか、よくわからなかったのか。

どれくらい必携かというと、かの電子音楽と言われているドイツ生まれの、ちょっと眉間に皺が寄ってしまう電子音楽の世界でさえ、ほとんどのものがリバーブ浸けであるという事は事実で。勿論、例外はあります。ですが、かなりパーセントで深いリバーブが掛けられている。リバーブ必携。「悔しかったらノンリバーブでカラオケやってみろ!」、みたいな。

 ノンマイクでしょ!(笑)

 それぐらい、「場の要因」というものが音楽と結びついているのにも関わらず、我々はこれについてよく理解していないし認めようとしないという訳ですね。例えばどれくらい、いい加減かといえば、ポップスなんかの場合にはスピーカーから音が聞こえてくるというのが当たり前のような、既にもうそうなっている。そうやって進化してきたのがポップスなんですが、全然違うところから音が鳴っているというのはやっぱり“おかしい“というふうに、あまりみんな思わないですよね?でも、やっぱりおかしいんですよ。どう考えたっておかしい訳です。

もし、進化があるとするならば、「地」の状態ね。何も無い状態と同じところから同じように、そういったシステムの介在というのが忘れられるくらい自然でなければならない。で、その上にいろんなことを構築するのは僕は全然OKだと思います。

ちょっと、変なイロモノやってみましょうか。(宇都宮氏、DSPプロセッサーのプリセットを変える。)

あっ、ヤッホーーーーーー。(深いリバーブ)
じゃあ、こういうのはどうでしょう、逆に…。(再び、DSPプロセッサーのプリセットを変え、狭い空間の反射音を演出する。)

これは今ちょっとリバーブという要素で遊んでいる訳なんですが。
これは、今一定の広さを持った空間なんですが、なんか響きのパターンが変わっただけのような気がすると思います。よく聴いてもらえると解るんですが、この空間(会場)よりも小さい空間に居る印象が今あると思います。妙に耳に圧迫感があり、まあ四畳半くらいかな?四畳半くらいの広さ、この広い会場でありながらそういった「場の要因」というふうなものをある程度コントロールができると。これでね(リバーブを強める)、この会場の広さよりも少し広い程度。まあこれくらいが聞き易いのではないかと思うんですが。

勿論、これは簡単に今、さっと触れる要素だけを調整している訳なんですが、例えばこういった「場」の要素というようなものの中に音楽がきちんと構築されるということを随分忘れ去ってしまって、クラシックでもそうです。例えばクラシックのCD聴いて「そんな響きのホールどこにあるんだよ?」と。あり得ない響きですよね?でも、僕らは凄い響きのあるそういうクラシックのCD聴くと「あー、なんかかっこいい」と思っちゃうんですけど、本当はそんな響きの所なんかどこにもない訳で。逆に言うと、嘘を礼参している部分というのはありますよね。



「非商業音楽」

 クラシックでもマルチトラック・レコーディングは普通ですよね?

 マルチですね、もう今は。 だから、この「場」の問題というものが音楽の場合、他の分野とは決定的にダメな理由っていうのが、映画なんかの世界だとリアリズムという概念が非常に強くて、「リアルで無いものはとにかく排除していこう」とする自浄能力みたいな部分が強いんですが、音楽の場合っていうのは、音楽の音の並び自体がインスピレーション上のものである為に、リアリズムというものの考え方自体が排除されていると。逆の状況がある訳ですよね。言ってみれば、かなり嘘の部分が強い訳で、それでもまあ構わないといえば構わないんですが、やっぱりどっかで破綻すると飽きてしまうという部分があります。あのー、「冗談きついよ」みたいな部分というのはあります。

例えば、人間が演奏できっこないようなことをあたかも演奏しているような振りをしたり、逆に言うとその区別がつかない状況がある。そう言えば、富山君これをちゃんと解説して無いじゃないか、君は(笑)。じゃあ、僕が代わりに言っちゃいます。このチラシの冒頭の部分に今日の主題っていうのがあって、まあ結構激しいコピーなんで、そんな激しいんだったらいいかなぁなんて思って、僕も「OK」って今日の対談を引き受けてしまったんですが。ざっと読んでみると、「音楽は死に行く途上にある」と。

 これ、音楽産業ですよね?

 産業ですね。音楽そのものは死にはしないです。ですが、全体の経済的な部分を含めた問題で言うと、やはり確実に死に向かいつつある。少なくともその、クラシックもポップスもどちらもそうなんですが、いわゆる録音媒体の販売っていうのはもう…。

 私一応CDショップにいたりもするんですが、ここ3年ぐらいの落ち込みっていうのは、驚くべきものなんですよね。で、もう若い人がCDであれレコードであれ、モノを買わない。お店にも来ない、ライブハウスにも、お店って言うのはレコードを買いに来ない。ライブハウスの知り合いに聞いても、ライブハウスにも行かない。なんかもう、そういう状況なんですよね、今。

 クラシックなんかでもやっぱり同様で、まあ「ホールを立てすぎだ」とかいう節もあるんだけど(笑)。やっぱりもう、ちょっと動員は無理みたいなところはありますよね。

 はい。

 で、まあ1つ産業構造の部分としてはかなりダメージがきつくて、おそらく回復はしないでしょうね、これは。

 かなりこれは難しいですね。例えば60年代からどんどん高度経済成長で上り坂できて、まあ80年代があって、バブルのときはやっぱり頂点で、今どんどん落ちていって、今は「底はどこかな?」っていうぐらいの、そのぐらいのとこにきてますね。

 うん。

 それは勿論音楽産業っていうかね、メジャーなフィールドの話であって。で、まあもっとアンダーグランドなところは、さほど変わっていないというか。もともと、まあ極端に言えば全世界で500枚とかね、500人を相手にしてたら良いみたいな、そういうところの構造っていうのは全く変わっていないんですけど。それ以外のメインストリームのほうっていうのは、もう今は凄い悲惨な状態ですよね。

 因みに、日本だとまだ平然と「何百万枚」とかいうこと言ってるんで…。

 まあ、言ってますけどね(笑)でも、あれは全部嘘ですからね。

 嘘ついても罰する法律も無いし、バッシングもしないし、例えばあの、オリジナルコンフィデンスとかあの辺自体が罰するならともかく、あの辺が言ってる訳ですから(笑)。罰する機関が無い。

 そうです。

 まあ、せいぜい税務署が「そんなに売れてるんなら、税金払ってください」って言ったら、「あなたそんなこと信じてるんですか?」って、一言言われちゃう。それでおしまいの世界ですから。唯一法的にはっきりしてるのは「およげたいやきくん」だけですかね?

 それぐらいでしょうね。それ以外のものっていうのはね、まあ作りはするんでしょう、撒きはしますよ。でも、日本のその、CDの小売りっていうのは返品が効いちゃう訳なんですよね。

 あの、同じところでグルグル回って。

 そう。で、結局戻ってきたやつどうするかっていったら、海外だったら安くしてもう一回売る訳だけど、工場で全部潰しちゃうんです。それだけ資源の無駄遣いというか、無駄なことをしとるわけね。だから、まあ例えば百万枚とかって発表があったとしても、極端に言ったら実際には十万も売れていない。

 演歌なんかだったら一枚も出回らないやつなんていうのも、結構ありますよ。

 いっぱいありますよ。

 あのー、闇から闇って言う凄い世界があって。まあ、実際の数量的な部分の実数を言うのはタブーとされている部分もあります。ちなみに現在のところ、イギリスのトップチャート、いわゆる売れ線の我々とは関係のない売れ筋のベストヒット1くらいで3万枚とかいう。

 3万枚とかね。ていうのは、イギリスって島国で日本とそんなに人口変わらないから、そんな国で何百万枚も、ありえないですよ。

 ありえない。

 まあ、ただイギリスの場合はちょっと言ったらカラクリがあって、ビートルズの頃から音楽が輸出産業として成り立ってるっていうそういう国なんでね。だから、まあ国内で実際売れてる枚数なんて高々あそこは知れている。それはもう事実ですよね。あとはそうですね、あのーさっきから言っている、例えばアフターディナーの最初のプレスって言うのは何枚でした?

 2000枚。

 2000枚ですか。

 で、2000っていうのをインタビューで言ったら、家にごっつい抗議の電話がね(笑)。

 それはなぜ?(笑)。もっと売れてると思わせろ?そういうことですか?

 そうそう。その時、1982年か1983年当時の話なんだけど。えーと、チャートでとにかくアフターディナーは、一時期1位にいたわけなんです。インディペンデントのチャートでね。で、メジャーが介入しているインディペンデントっていうのが、それに続いて3位4位5位くらいのところにいたんだと思うんだけど、彼らは何万枚も売っていると公言してて。で、僕は初回のプレス2千なんだみたいな事をボーンと言っちゃって、それの6割、7割くらい出荷している時点だというふうなことを言ったところ、雑誌出るや否や抗議の電話がレコード会社から掛かってくる(笑)。「お前は音楽作ってるつもりかも知れんけど、俺らがやってるのは夢を作ってるのであって、音楽を作ってるんじゃない。お前は勘違いをしている!」とかそういうふうに酷く、それも一社だけじゃないんですよ(笑)。

 灰野さんは、デビューアルバム500枚ですかね?

 なんだっけ?

 えー、「わたしだけ」は?

 一応あれはね、作ったのは1000枚。

 1000枚作りました?でも、あの時代っていうのは、まあそうですね。500枚から1000枚出たら、「わぁ、すごい」って言ってるようなそんな時代、1981年ですよね?1981年くらいだったら、とにかく「500枚売ったらすごい。」っていう感じですよね。で、アフターディナーの頃だったら、まあ何とか1000枚くらいまでは、大体行けてたって感じですかね?

 んー。でもね、シングルは初回500枚で、追加でやっと1000枚。

 うん、そうですよね。で、さっき僕が全世界で500人って言ったのは、そんなにね、実際1980年代のその頃と1990年代のちょっとバブルの時代に500枚、1000枚売るのは簡単だって僕なんかも思って。自分で作ったCDなんかも1000枚くらい楽だと思ってたんだけど、最近また500枚に戻っちゃったんですよね。だからまあ…。

 落ちた訳ではなくて。

 本来の健全なところに戻ったんだと。

 そうそう。

 じゃあ、あの90年代の余分な500枚とか1000枚は、あれは何だったんだろう?って、思わないこともないんだけど。だからどうしてもね、極端に言ったら500人全世界でいたらOKか、みたいなね。

 まあ、出回るコピーを含めたとして、そんなもんじゃないかとは思う。

 それはちょっとまじめ、まじめってったらおかしいんだけど。アンダーグラウンドって言い方もしたくないんだけど、真剣に音楽に向かい合っている作品を、ちゃんと聴いてくれる人の所に正しく届く枚数っていうのは、500枚くらいがやっぱり今でもマックスじゃないかなっていうようなね。そういう印象はあるんですけど。

 要は売り方として、たくさん売ろうと思ったら本来必要としていない人にたくさん売りつけないと、数は伸びない訳です。で、大手のレコード会社の販売戦略の多くは、やっぱりそれなんですよね。まあ、いろんな心理的な戦略を使って、本来この人は買わなくていいっていう人に売りつけなければならない訳です(笑)。僕らは、それをあんまりしたくないし、この灰野・宇都宮の顔合わせって、たぶん“えーっ?”って思って来た人が多いと思うんですが、共通している点は、音楽を輸出しているっていうことなんですよ。

 そうですね。

 その点において、我々は共通してるメンツであって、それ以外の部分では結構方向もかなり違うし、ものの考え方もかなり違うと思いますが。現在の状況、売れている点もまあ一致してるかな。 

 うん。

 はい、まあそんな共通項なわけです。



「最初の一音」

 あと、さっきから話を聞いてて「場」っていう話をされてたでしょう?

 はい。

 あー、それが共通点だなぁって僕が思ったのは、音が始まる以前のことを考えてるってことだと思いますよ。

 うん。

 僕も、一音をどっからどういうふうに出すのか…。

 最初の一音は難しいですよ。

 それはその、やっぱり「場」を意識しなければできないことだから。「あー、それで宇都宮さんとの接点が持てるな」と、いま話を聞いてて思いました。

 最初の一音はね、死ぬかと思いますよね(笑)

 うん、全く(笑)。明日、僕も死ぬでしょう(笑)

 こんだけ言ってても、最初の一音は死にますね。もう、そのあと意識を保ててたら、まあその日は乗り切れるけど、結構最初の一音で頭白くなることってあって。ライブ中心の場合はそれもそうなんだけど、固定されたCDなんかの場合だと、その白くなる状態がスタジオの中で、ずっと頭の中に白いエコーが、ああああって(笑)結構、生き地獄みたいな。夜も寝られないですよ、「何とかしなきゃ」って。とにかく最初の一音の切り出し方で、その後の運命は全て決まってしまう部分があって、それは大手のポップスの場合もそうで。あっ、普通それが駄目なのよ、最近のポップスね!Jポップなんかの最初の一音、駄目ね。昔はね、二、三回泣かされてるっていうのがもう手に取れるくらいで、特に全体を通して歌わないです、もうこの十何年かね、もうぶつ切りっていうか。

 歌えるとこしか歌わない、っていうね。

 制作のスタイルとして、もう可能な限り続けて歌いたいところなんだけど。とりあえず全体歌ったとしても、部分的な修正っていうのをとにかく何十カ所もやって、特にイントロの部分っていうのは、もう泣かしますよ。プロデューサーとして、「やめてまえ!」とまで言いますから(笑)。

あのね、結構これは技で。泣かすと、こう結構吹っ切れるものがあって、ポッとこう出来たり。で、自分でやらなきゃいけない時は、自分で泣かしてもしょうがないんで、まあ結構痛めつけるっていうか。精神的に、こうやっぱり、どうしても落ち込んでしまいますから、そこからどういうふうに回復できるかみたいな。そういうプロセスがなく、冒頭一音って言うのは無理ですね、そういう意味ではね。軽く仕上がってても後で絶対後悔しますから、とにかく最初の一音っていうのは凄く重要なんですけど。これね、コンピューターが導入されてからそれが駄目になりましたね。

って言うのは、結構加工が出来ちゃうんで。音程の修正とか、声色の修正とか、音節単位までできます。コブシだってつけられます。コブシは自由自在ですね。コブシがもうパーフェクト、「地」でパーフェクトなのは、元ちとせくらいかな、あれは凄いですけどね。他は大抵作り物ですから、インチキに作られてます。まあ、そんな話が今日出るとは思ってなかったと思いますけど。

 灰野さん作品数は多いですけど、オーバーダビングしてるものって、ほとんどないですよね?そうでもないですか?

 うん、それは無い。

 ほとんど一発録りですよね、あれだけ作品があって。

 そう。

 それは、録音エンジニアの人とのコミュニケーションとかは、どうですか?作品毎に違う訳ですか?

 うん。とても単純に、自分が「演奏があれなら、出してもいいなぁ」と思ったら、そのまま出すって感じで。ほとんど何も考えない、それに関しては。



「自由な聴取」

 録音の最終的な、フィニッシュのCDとして出てくる品質っていうものに関しては?

 よっぽど、何か音圧感が無くって平たい感じだったら嫌だけど。「あっ、今日の出してもいいなぁ」と思ったら、誰か録ってる人居るかどうか見つけて、連絡をとってコピーを貰って、これなら良いやと思ったら出します。

 なるほど。だから、それは演奏の内容に関してですよね?

 そうだね。

 だから、あまりその品質・音質であるとか、そういうことに関してそんなに深いこだわりは無い?

 それはもう宇都宮さんとは、本当に立場が違うとこに居るから。

 でも、同じできるのであれば、よりクオリティーの高い方がいい?

 勿論。

 凄くいい、こんなCDの音質聴いたこと無いって言うくらいの作品が出来た方が、それは面白いことは面白いですよね。

 だからそれを、今、本当に宇都宮さんが言った逆説になるけど、コンピュータを使えば、解像度っていうことではものすごい本当に、神経の音まで聴こえるんじゃないかぐらい、ザラザラ感が出せるけど。そういうよりは、僕にとって自分が演奏、まさに宇都宮さんがこの場所を作ったように、自分がやった時に自分自身が味わえた音を人に聴いて貰いたいと思うから。で、それを後で聴いて「ああ、こんな感じに自分も聴こえたなぁ」と思ったら、それでOKのサイン出します。

 まあ、それは言ってみれば自分が聴いた「場」の共有?

 全くそう。

 そういう意味では、やっぱりリアリズム…。

 その、リアリズムって言葉は、ちょっと(笑)。さっき引っかかったんだけど。

 いや、録音物を聴いた時に、やはりそれが頭の中で再現できるっていう意味で「リアル」というね。

 ですね。それはもう、わがままで。自分が、センターに居た状態をどれぐらい復元できてるかなぁっていうチェックでしか無い訳で。その録音した人が、普段どんなことを考えて録音しているかとか、そこ迄いったら出せなくなると思うんで。

 あのー、僕の立場について、初めての人も多いと思いますが、一応自分の名義っていうか自分で曲を書いたり、あるいは時に即興に近い演奏をやったりもするんですが。まあ、滅多にはやらないです。それよりは、いわゆる録音制作っていうふうなことが、僕の場合ほとんどメインなんです。言ってみれば、何故録音というテクノロジー側なのかというと、ひとつには自分を支えてくれる、そういう人と巡り合わなかったっていうのがあって。自分としては、古い僕のごくごく古い作品、知ってる人は居るかも知れませんが、1982、3年くらいまでね。本当に曲書いて、作って出すみたいな。譜面の形でもたくさん出してますし。それが、ある時をきっかけにコロっとね、「あっ、俺は俺の『解釈者』でなければならない」みたいなね。「『解釈者』がいないんじゃ、ダメじゃん!」って、自分で思った訳です。ひょっとしたら、作り手よりも「解釈」の方が偉いんじゃないかというところまで(笑)。まあ、いわゆるプロデュースっていう考え方に於いて、「解釈」っていうことの重要さが少なくとも僕は巡り合えなかったんですよ、そういう意味で。じゃあ、自分でやるかっていうふうな。でも、これが思いのほか大変でね…(笑)。

 そう思います。

 はい。で、まあ灰野さんとも、赤レンガの時かなぁ?(註:2005年に大阪・築港赤レンガ倉庫でのパフォーマンス)

 鈴木昭男さんの、ジーベック?(註:2002年11月8日に神戸・ジーベックホールで行われた鈴木昭男氏とのデュオパフォーマンス)

宇 ジーベックは違う、僕行って無い。

 赤レンガのパーカッション?

 でね、会う度にこう、それほど挑戦的でも無いんだと思うんだけど、「録れるもんなら録ってみろ!」みたいなね(笑)

 そうそう(笑)

 明らかにある(笑)

 灰野さんが、よくベアーズ…。

 ベアーズでも言われた(笑)

 あれは、凄い。

 ベアーズでも、やられたことあるんですよね。あれは灰野さんの不失者のベースの小沢さんって方がね、音響方面の人で。で、たまたま私がベアーズでちょっとブッキングをした時に、宇都宮さんが録音に来てくださってて。灰野さんが言ったことが「録れるもんなら録ってみろ!」と(笑)。

灰・宇 (笑)

 で、そのときに宇都宮さんどこで録音していたかって言うと、楽屋で録音してたんですよ(笑)。

 (笑)

 まあ、どこでね、録るかは僕の自由じゃん!

 うーん、まったくだ(笑)

 それは普通ね、ちょっとこれはあり得ないと(笑)。

 でも、得てして楽屋が一番音が溜まっていい場所っていうのが、結構あるんだよね。

 だってうるさいじゃん、みたいな部分って(笑)失礼だけど。どこで聴くかっていうのは、実は「ここで聴かなきゃいけない」っていうのが、あるようで無かったりするし、「試してみなきゃわからない」っていうのもあって。昭男さんの話していいかな?

 あ、どうぞどうぞ。

 あの、赤レンガの時なんかは、会場の外にまでマイクを立てて。丁度ここで言うと受付の更に外かな。微かに、やっぱり中の音が聴こえてきてるんだけど、これがもうたまらなくね。中でかぶり付きで観てるよりも、その遥か彼方。あそこ港なんで、船の汽笛が“ガー”って来ながら、会場内で昭男さんのパフォーマンスの皿が“パリン”って割れる音がね、もう泣けるんですよ。で、その中と自分が繋がってるんだと思うと、「あっ、これはこのトラックを何とかリスナーとも共有したい」、ということでちょっとあるアイデアがあって、共有できるようにっていうのがあるんだけど。

だから、どこで聴くかっていうことは、ある意味自由であり、客に委ねられるべきであり、ここで聴かなきゃいけないっていうことは、それこそ中世以来の、ある意味、無意味化していることじゃないかと。例えば、録音物聴くのに、ここで今この講演を録音して、これをCDで出したとしてね。やっぱりベストは、この場所で聴かなきゃって。「芸大のAVホール借りたよ、あのCD聴こうか」って、ここで同じように聴く。素晴らしい、いいですよ。でも、あまり実用的とはいえないですよね、電車の中で聴きたいかもしれないし。そういった意味を考えると、お互いに「場」を共有するっていうことの意味について、やっぱりもうちょっと深く掘り下げて研究…、研究っていうこともない、いろんな挑戦をやっていかなきゃいけない。だろうと思うんですが、まあいろんなしがらみ…しがらみじゃないかな、固定された考え方っていものが強くて。いくつか、今日僕作品持ってきてますけど、例えばここ「JON&UTSUNOMIYA」っていう作品あります。これバイノーラルの作品なんですが。えー…(笑)なんて言えばいいんだろう?聴きながら歩くと怪我しますよ(笑)

 酔いますからね、ちょっと平行感覚が狂っちゃう。

 っていうか、完全にこの録音物の世界に入れますから。言ってみれば、ヘッドホンつけてることも忘れてしまいますし、自分がよけてることすらわからない、忘れてしまいます。っていうか、気付かないんですよね。音楽っていうものは本来、お行儀良く一定のところで聴くっていうのは、まあそれはひとつのスタイルではあるんですが。例えば、ライブハウスでうるさい時、うるさかったら耳栓すればいいじゃない、と僕は思うんですよ。耳栓して聴くのも1つの音楽だろうと。うるさいのに、ヤダと思いながら我慢してこう聴くのは、どうかなと思いますね、そういう意味で。あの、とりとめもないんですが。逆に言うと、ひとつの聴き方っていうのに縛りつけられてると、多分灰野敬二さんの作品っていうのは、やっぱりちゃんと鑑賞できないかもしれないですよね?

 灰野さんの場合はだから、ものすごーくやかましいやつから、クラシックギターのソロのやつなんかは極端に静かですよね?

 うん。あれは、静かっていうか小さいんだよ。

 小さいんですね(笑)。だから、それは結局どれだけ意識を集中して聴くかで、もう全然聞こえるものが違うでしょ?で、でかい音はでかい音で、ね?なんでしょう、皮膚感覚というかね?



「聴衆の抵抗」

宇 ちょっとそれに関連したことで、CD産業がね、ひとつやっぱり衰退していった原因のひとつはね、CDの音が悪すぎるっていうのがあります。どう悪いかって言ったら、意味なくでかい音が入ってるんですよ。メーター(註:VUメーター)の振れでいうと、まあこんなふうにこう、大きいところでこう、小さいところでこう、ね?適当に、こう大きい小さいがあるんだったらいいんですが、今のJ-POPなんか、メーターちゃんと振らして見てくださいよ。イントロ、“バン”このぐらいです(メーターのメモリで8)。イントロ終わって本編、“あーっ!”と、この辺(メーターの目盛で10)を、ピクピクピクピクッてもう(笑)。「あれ、メーター痙攣している、壊れたのかな?」って思うくらい。まあ、これは何かって言うと、音が大きい方がよく売れるっていうね、まあそういうルール…ルールでもない、まあ謂れがあるわけですよね。案外ね、ジャーマンメタルとかの方がね(笑)、音小さかったり。

 あー、ヘビーメタルの方が、結構繊細に音作ってますよね。

宇 あの、もともと音、歪んだ音使いますんで、それ以上歪ませたくないっていうのがあって。案外音に関してきれいだったりします。それに対してJ-POP…。

 J-POPとか打ち込み系が酷いですね?

 酷いですね。だから、ちゃんと腰を据えて聴こうと思っても酷い音だし、ましてや電車の中でiPodで聴いたらもっと酷い音だし、「どう聴けというんだ?」というのはあると思うし。例えば、テレビで流れて「おっ、これ良いかもしれない」と思ってCD買ったら、酷い音みたいなね。そういうのが結構、僕はね、騙されて買うんですよ。時々ね、たまにね。で、「ほら見ろ!」みたいな(笑)。

 ダメを確かめるんだ?

 そうそう。「この酷さはなんだ?」みたいな。でも、そういう時は、こうやって音楽エンジニアリングの先生やってるんで、「ほら、酷いだろ?」みたいな教材に使えるっていうのはあって。あの、「メータ−壊れてんじゃん」みたいな、そういうことに使えるんですけどね。

 レンジが無いっていうことですよね。

 無い。

 無いんですよね。音楽制作のその現場?レコード会社なりに、「これは、間違ってんじゃない?」っていうことを、考える人が居ない訳でしょ?

 いや、「とにかく売れなきゃいけない」っていうのがね。

 だから言葉で言えば、迫力が無きゃダメなのよね。

 その迫力っていう意味が違うと。

 だから、それは作る側にとっては、ダイナミックレンジを思いっきり下から上まで使うのが気持ちいい訳じゃない?作り甲斐がある訳じゃない?

 はいはい。

 でも彼らにはそういう意味じゃなく、売れればいいわけだから。迫力があれば売れるっていう、もうイコールが出来てるから。

 はいはい。

 そこで、そのことを不思議に思ってはいけない訳だから(笑)

 だから、音が大きいっていう事実ではなくて、メーターよく振ってる…。

 音が大きいと思わせる。

 ひとつの記号なんですよね。

 というよりは、小さい音がなければいいんだから。

 うん、まあまあ。そうね、終わってる(笑)

 確かに、もうオープンリールレコーダーも終わって要らないふうだよね。

 それに対して、昔はレコードおかしくって。アナログ盤の場合大きい音入ってると、録音時間が短くなるっていう問題があって。それでも無視して大きい音入れると、今度は針が飛ぶようになるっていうね。

 確かに、確かに。

 そうすると返品率が増えるんで、レコード会社も程々のモラルを守らなきゃならなかったんですよ。

 注意書きありましたよね?

 そう、「このレコードには、ノイズが入ってます」とか、「針、飛び易いです」とか。あれ、あれなんだっけ?わりと最近で出た、スターリンかなんかのリマスターが、必ず音飛ぶとかっていう話?(註:THE STALIN 『Fish Inn』収録のBYE BYE "NIETZSCHE"のことと思われるが、現在は修正版が流通している。)

 ほう。

 えーと、なんですか?CDですか?

 CD。CDで飛ぶって、なんか僕もよく知らないですけどね。とにかく、直ぐ不良ってほうに結びついてしまうんだけど。CDの場合、まあ余程のことが無い限り、不良っていうものは受け付けてくれないんですよね。つまり、客がクレームを寄せる場所が無いんですよ。「音がデカすぎるじゃん」っていうのが、果たしてクレームとして通るかどうか。言ってみれば、客はそういった意味で要望を寄せられる余地を失ってしまってる。だからまあ、いい気になってるって言ったらあれだけど(笑)。「不良が出ないんだったらいいじゃん」みたいな、なんかそういうのはあると思いますね。だから自分の中に何かモラルがあるというわけじゃなくて、「大きい音もあるし小さい音もある」、ではなくなってしまってるわけ。

一つは、それに対して買う側が「ノー」といえるのは、唯一の抵抗が今の状態だと思うんですよね。売れなくしてしまう、誰も買わなくなってしまう、これはもうささやかな抵抗っていうか、不良品じゃんって言ってるが、タワーレコードが倒産したりとかいう、そういうことなんだろうと思うね。

(註:2006年8月20日、MTS社は連邦破産法11条の適用をデラウェア州ウイルミントンの破産裁判所に申請。日本国内のタワーレコードは、2004年の破産法適用の際に日本の経営陣に売却されていたため、米タワーレコードの倒産とは直接関係は無かった。)

だから、それが早いうちに音が大きすぎるとか、なんか歪んでるとかいうふうなことに関してもっともっとリサーチを、作り手の側がアーティストも含めてね、例えばアーティストが「俺の音、こんな音じゃないよ」って言えれば良いんだけど。言わないよね、あんまり最近。

 言わないですね。だからまあ、ここにそれこそ、もう一回読み直すとチラシのこれに戻りますけどね、「芸術的価値が失落しつつあることについて議論されることは少なく…」って今話してたようなこと。

 結局そういうことですね。

 議論されることがないんですよ。

 うん。あの、言わなくなった。

 うん。で、「音楽を聴取することに至っては、無価値なものとされつつあります。」、もうまさに現状がそういうことである。

 あの、本当にその価値がないわけじゃないんですよ。

 はい。

 聴かなきゃいけない、きちんと。



「格納される音楽」

 聴取って、「意識的に聞く」っていうことですよね。

 だけど、聴いたことに関して、おかしいっていうふうなことを言っても、受け付ける場所がないっていうことなんですよ。これは大変な問題だと思います。そこへ、全部帰結しないといけないはずなのにね。

 だから、こう、なんでしょうね。能動的に、こう意識的に音楽を聴くっていうあれが、どんどんどんどんとね、無くなっているっていうね。まあ、あとはね、僕は売る側の人間でもあるんであれなんですけど、昔はCDなりCDよりレコードの時かな。アナログレコードっていうのは存在感、モノとしての存在感がね、商品としての存在感があったんですよ。で、今はもうモノすら要らないみたいな。

宇・灰 うん、うん。

 それこそ、データでダウンロードだけで、もうそれでOKみたいな。だから、特にそれが若い人からどんどんそういうふうになっていってるのね。まあ勿論、それはメディアの構図そのものが、流れ方が変わってる。例えば、50年代60年代っていうのは、経済成長があってメディアがどんどん発達していって、テレビでもラジオでも、どんどん進化していったわけでしょ。それに付随して、例えばロックミュージックであったり、電気を使う音楽っていうものがね、それが上り坂になっていったのが50年代60年代70年代で、80年代でやっぱりちょっと止まっちゃた感じがするんですよね。

で、まあそこまでは何とか保ってたんだろうけど。最近の、インターネットでダウンロードとかなってくるとしたら、データだけでモノすら要らないってなった時に、まあ僕なんかこう、CDとかレコードとかモノを売ってた人間なので、じゃあこれからどうしたらいいんだと。

 やっぱり、僕はモノであるべきだろうと。

 ですよね。

 思います。

 私もモノを売ってる人間だから、変にこうまあ、今モノに対してなにか執着するっていうことが、まあ「カッコ悪い」っていったらあれなんだけど、それすら、あまりこだわらなくなってきているのかな、ていうような気がしないでもないんですけどね。

 結局ね、モノか音楽そのものは論理的に言えば無形のもののはずだから、データの形でも構わない、それは確かに理屈ですよ。理屈だけど、我々に果たしてそれが理屈で解ってることとね、それから本当にそれが認知できるかっていう問題になると、やっぱり僕は認知できない、解んないと思いますね。あの、解ってないと思う。

要するにここに、(ケースに入ったCDを取り出し)これが物体として確かにこれはCDていう入れ物に過ぎない。この入れ物の中にこの音の入れ物があって、その中に音楽があってみたいなね。マトリョーシカ人形みたいな、どんどんそういう入れ物があって、また入れ物があって、その中に更に入れ物があってどこまで行くんだ、らっきょうみたいなやつだなみたいな。その中心はどこなんだっていうようなことにすごい興味はあるんですが、やっぱり形のある入れ物に入ってるっていうことは非常に意味があることだと僕は思います。で、そのデータっていう形でダウンロードするのは確かに無駄は少ないかもしれないし、石油を使わなくていいっていう点では、確かにその…。

 スマートではありますよね。

 スマートですね。だけど、それは単にスマートっていうだけで、「アリガタミ」はあんまりないし、その中に工夫できることっていうのを逆に閉ざしてるっていうのが、僕は強いと思います。

 灰野さん、CDなんか大量に買われますね?

 うん。

 それはやっぱりその、何かモノとしての存在感とか、それとも中身の音楽がやっぱり聴きたい?

 そうそう、勿論。自分が知らないものが聴ければ。

 でも、やっぱりなにかその、レコードなりCDに対してのちょっとこう、フェッティッシュな…。

 それは、あるでしょ。

 それはね。言ったら、僕らの世代くらいまではあるかって感じはするんですけどね。

 そのね、話し聞いてて確かに執着しなくなってるっていう現象は、「執着」っていう言葉自体にいえば、ある種その方が素晴らしいことかもしれない。

 そうかもしれないですね。

 ただ、執着が無くなるっていうことに対して、「愛情があって執着が無くなる」っていうこととは明らかに違うから。何かには、人は執着してるわけだし、「じゃあ、お前らみんな靴脱いで裸足になって裸になって外歩けるか?」っていったら、必ず何かに執着がある訳だから、その執着をどこに自分が見出せるかだと思うよ。それをやっぱり、ひとつのものに何か愛情が持てるっていうことは、今東瀬戸君が言ったように、僕ってとにかくみんなが信じられないくらいCD買うじゃない?

 そうですね(笑)

 昨日だって、着いてすぐレコード屋さん連れてってもらったくらいで。いや、「それって何?」っていったら、正に考え方だけど。執着するっていうのは、そこに所詮「執着心」が出るわけじゃない。そうじゃなくて、好きなものはいっぱい増えた方がいいでしょっていうのが僕の考え方だから。だから、執着っていう言葉の使い方も良くないと思う。固執してしまってるとか。

 じゃあ、全体の流れとしては、やっぱり今のこのボディーを失った、中身だけのデータだけの音楽って言うのはやっぱり、認めがたいと(笑)

 いや、僕はもう始めから、失礼な言い方だけど興味が持てなかったタイプなので。

 いや正直なところ、認められないとか何とかいう以前に仰る通りで、興味が湧かないですよね(笑)

 いやいや、もっと露骨に言えば、僕は「カッコいい」と思えないから。やっぱりね、どういう言葉の使い方だろうと、その場その場での。人って選択をする時って、どんな小ちゃい子供であろうとやっぱりカッコいいって凄いシンプルなね、自分がカッコいいモノの方を選ぶわけで。それはやっぱりカッコいいと思って選ぶ人と、カッコいいと思わない人っていうのはいる訳だから。

 ただまあ、ひとつ…。

 ていうか、宇都宮さんが言うある種の「これはつまんない」っていう、あるひとつの言い方をするけど、僕はもう悪いけどそこに興味が持ててないんで(笑)

 ははははっ(笑)

 それ、「どうでもいいでしょー」みたいな(笑)



「王様と召使い」

 いや、一応いろんな人達がやっぱり対談で見に来てる訳で、いろんな世界のいろんな価値体系の中から来てるわけで、やっぱり今僕たちが音楽をやってて一番具合が悪いなって思うのは、この価値体系のプライオリティが、この順位がね、音楽の順位がどうも下がりつつあるんじゃないかと。

 いやそれは、さっきも僕は話したけど、ちょっと時間がなくて話せなかったけど。やっぱり僕がよく、宇都宮さんも言われると思うけど…、70年くらいから他の表現の人と出会って、「何か一緒にやりましょう」って言われた時に、その時は「一緒にやりましょう」って言葉を使うけど、その後ものを作って出す、あるいは生演奏をするって段階になって会場行ってみると、僕達がセットしていると、その例えばまあ失礼だけど踊りの人とかいると、そのスタッフに向かって「ここでこの音、こう使うのよっ!」みたいな言い方をして、「はぁ?!俺たちは召使いか?」って言う。それは僕、はじめから思ってたんで。

 そうね、その問題ね。

 うん。

 昔からあんまりその部分はね、確かに。

 それは…。

 順位低いですよね…(笑)

 いつまで遡れば、その話しが出来るか解らないけど。とりあえず、やっぱりもっと具体的に僕が現実に感じてるのは、ポップアートって言うのが、まあ生まれたのか有るのか、でっち上げられたのか、それは人がどう捉えても構わないけど、あの辺りから露骨に音楽は低くなってます。

 確かにそうですね。

 くっついてるものとして、まあマルチメディアとか言われて。その時に、どうしても音楽が一番下の方にあって。

 これはぁ…。

 言語があって、それこそさっき言われた言語を具体的に表すのが映画のようなかたち、まあ時には演劇とかになるけど。どうもその時に、「音を使う」っていう概念がずっと、僕が始めた70年代くらいからは特にそれはすごく感じて、「なんで、俺たちは使われるんだろう?」っていう。

 確かにね、そうですね。あの、そういう意味では思いのほか、この業界に入ってみると地位が低かったっていうのはありますね。ただまあ社会順位の問題でいくと、その地位すらちょっともう守れなくなってるんじゃないかと、ただでさえ低いのに(笑)それ以下になってるんじゃないかと。だからまあ、ここに書いてる元々の意味とちょっと違うんだけど、ほとんど「無価値化」しつつあるんじゃないかとね。あの、一部分ていうのは凄くあると思うんですよ。

 ただ、宇都宮さんが自分の現状とか立場の話しをされたから、僕も言わせてもらうと。ある意味では僕にとってはうれしいこともある訳で。情報がすごくたくさんあるから、人が始めのうちはただ情報の中に埋もれてしまうけど、まあ自負させてもらいますけど、やっぱり本物を知りたいと思う人も増えてくるわけでしょ?

 多いですね。

 そうすると、まあ本物っていうのは何かっていうのはその人にとってだけど、何か一生懸命やってることに対しては琴線に触れる何かが起きてくるんだと思う。で、そして始めはCDとか聴いていて、まあ確かに少なくなってるという言い方をされればそうかもしれないけど、僕は年々お客さんは一人ずつは増えてると思うんですよ、僕に限って言えば。っていうのは、あの…、上が無かったから(笑)。一番始めが、どん底。ある意味ではどん底っていうか、ホントにさっき言われた聴きたい人だけ聴いてくれればいいって言うのをもう、露骨なやり方をしていた訳で。

そうすると、その人達は未だに残っていてくれて、「30年ぶりに来た」とか、本当にそういう人が居てくれるから。だから、僕は個人的なこととしては、確かにバーチャルなものとかはあんまり興味が持てないけど、お客さんが少なくなったっていう、実際に産業の断面からとかは事実CDを作れば、作る側が「これは、これ以上売れないからもう作れない」とか言って、小ちゃいところは消えて行くし、お店も無くなっていくけど。でも、僕は本来の意味でのインディペンデントをやり続けるとかじゃなくて、僕はこれしかやり方が無かった訳だから、それこそ言われた人と何か手を結んで組織化しようとか、そういうことは一切する気がないっていうか、してくれなかった訳だから(笑)。全部僕の場合はやらざるを得ないわけで。で、そうして来たからホント申し訳ないけど…。

 いや、申し訳ないと言われても(笑)

 無価値とか、価値が下に下がってるっていうのは、人から感じる。人っていうのは、僕がいつも感じられるのはライブですよね。ライブに来てくれたお客さんが、やっぱ喜んで帰ってくれれば、ホント僕お客さん二人を相手にしたこともあるんで。ああ、一人でも喜んで帰ってくれれば、今日もやってよかったなって凄いシンプルな一日になります(笑)

 あの、いや素晴らしいと思います。

 真剣に演奏してるってことですよね。

 それは、もう自他ともに認める。だって僕体強くないし、もう年齢も年齢だし。でも、やっぱりね、それは「音楽が好きだから」としか言いようがないんで。人が僕に対して、「いろんなことをやりますね」って言ってくれるけど、いろんなことが出来るんじゃなくて、いろんなことが好きなんで、それは出来るっていうより、やりたいからやるから。

 いやもう、その通りだと思います。

 それが伝わってくれるように、やっとなって来たんで。

 やりたいからやってる以外の何ものでもないわけで、他の人のことなんかどうでもいいんですが。

 僕の場合は、ちょっとずつ距離があったのが、ちょっとずつ、こう送る側と受ける側が昔はピッチでもこの辺で加速しないでいかなかったけど、今は徐々に徐々に受ける側の方の人に伝わるようになれたので。

 たぶん、それは灰野さん自身がやっぱりずっと進化し続けてる証だろうと。

 それは多分言葉の使い方が違うんだけど、一緒です。一緒です。

 自分の中に同化しながら。例えば、その莫大な買ったCDやらいろんな付き合いの中から自分の中へ取り込んでいったものっていうのは、確実に増えて。で、表現の幅っていうのが、おそらく確実にね、増大しているっていうこと自体、その中から新しいかたちとしてやっぱりうまく外へ出せてるっていうこと自体が…。まあ、その為には別にコンピューターも要らないですし。

 全然必要ない。



「誰が泣きを見るか」

 そうそうそう。でもね、やっぱりひとつ音楽全体見た時に、まあ生で演奏してる人はそんなんのやらないと思いますけど、少なくても作曲の分野、それから録音の分野のかなりの部分なんていうのはオーケストラなんて雇えないですからね、そう簡単には。

 あー、はいはい。

 だから、自分が実際にその考えたサウンドのようなものを具現化するヒントとして、やっぱりそのコンピューターを使ったりするっていうのも、これ当然あって良いんだけども、やっぱり生で演奏したものとその違い、根本的な部分の違いっていうものを音楽の理論がね、やっぱりきちんと説明できてない部分っていうのはあると思うんですよね。

で、例えばそうやってデモテープのようなサンプルっていうか試作品が出来た時に、今のCDの出版っていうか、例えばそれを世の中に出す時に「そのままでいいじゃん」って言ってしまうこの出版側も出版側で。その為に「じゃあ、これを生で全部集めましょう。それだけの金も何とか都合しましょう、それが成立するだけのことをなんとかしましょう。」とは言わないんですよね。で、それを昔は出来てた。でも…。

 いや、昔はね、現場の人みんな音楽が好きでしたよ。

宇 うん、誰かがね、自腹切ってる部分はあるんだろうし、誰か首つってるかもしれないんだけど。それで良いと思って出来てたんだけど、今それがないの。それがないわけね。

 それは感じます、本気じゃないなって。

 だから、結局誰か泣かしてるんだろうなとか思いながら、「あとは任せたー」みたいな(笑)

 ごめんなさい(笑)

 僕、作るのは作ってもね、配給全部人に任せちゃって、僕絶対手売りなんて嫌とは言わないけど良くわかんないし、あの誰か払わなくてもチェックも入れないから「あれ?なんで赤字なんだろう?」とか、自分ではもう絶対やりたくないみたいな。でも、「お願いします」みたいな。で、まあ結局どっかが。

 そうですね、結局誰かがかぶるんですよ、そこは(笑)

 全くそうだよ。

 それは他の分野でも映画でもお芝居でも、大概ですけどねあいつらもね(笑)あの、赤字の額って「えー!音楽で良かった…」と思うぐらい。

 僕もよく聞きますよ。その桁が!

 桁がね。「音楽じゃそんなんならんわな」とか。凄いんだけど。

 まあね、百万、二百万ぐらいですよね、音楽で被ったとしても(笑)

 だから、お芝居だとそれがまだいけるし、映画は今ちょっとブームで絶対儲かる訳ないのにそんだけガンガン今お金投じてて。「どうよこれ?」みたいな部分あるんだけど、音楽にはあの…お金投じてくれない(笑)これはやっぱり「価値が下がったのかな」、というふうに思わざる負えないわけです。で、僕がこの話題をやっぱりね振ってる理由っていうのは後進の問題なんですよ。

 ん?

 後進の、あの若手がね、どれぐらい参入してくるかって問題においてちょっと危機感がある。

 あー、立場上?

 うんうん、それを連続して常に新しいこう、各世代から何人ずつみたいな、それがないのは解る。こう所々飛島状に抜けてる世代があってとか、いうのもわかるんだけども、「どうもまずいぞ」と。

 小沢君も言ってますよ。

 あー、でこれは何に原因があるのかねってね。特に学校関係勤めてると、ちょっとビビっちゃう部分っていうのはあります。で、それはやっぱりアピールできないとかそういう問題ではなくて、やっぱり何かついて来れない部分があるのか努力不足なのか、っていうふうにね思ってしまうわけなんですよね。で、その辺に全部こう繋がってくることなんです。だから、別にどこのメジャーが潰れようが知ったこっちゃないし(笑)ただね、全部に潰れられるとね、プレス出すところが無くなっちゃうんで。

 プレス屋さんがなくなっちゃうでしょ。

 プレス工場は今の値段を維持してほしいっていうのはあります。印刷会社とね。だた、やっぱり後進の参入っていうのは、その部分を考えるとね、僕らも同じような一定の世代だけをずっと持ち上がりで行けば良い訳じゃなくって、やっぱり新しい血をどんどん入れていかないと、進化を続けないと、やっぱりこの文章のように死に絶えると思うんですよ。

 全くですね。感じます。

 で、「私たちはこうしている」の部分にどっか繋げていかないといけないんですけどね。僕はもうそういう意味で、とりあえず学校の先生っていうのも一応ちょっとアルバイト状態ですが、まあ、ある程度は手がけてる訳です、はい。ああ、これ(CD作品JON&UTSUNOMIA)も、私たちはこうしているの中に含まれている。これを僕はひとつ理論化したい訳です、「音楽の中にこれを組み込みたい」っていうふうに。

一応ね、本のタイトル決まってるんですよ。あの、「作場論」。要するに「場」を作る為のルール。ルールっていうか、まあ聴覚の問題もあるし、今まではその手のことは物理学とか、聴覚生理とかそっちなんだけど、それも行き詰まっちゃてて。どう行き詰まってるかというど、今CDで音が良いとか言わないでしょ?良いも悪いも言わないって、これもう終わってんじゃん(笑)

僕は、自分が作り出すモノって絶対の自身がありますから、「これ以上出来るもんならやってみろ」みたいな。あの、受付にある、とりあえず今日4枚しか無いんだけど、「これ超えられるんだったらやってみろ」みたいなね、部分はありますよ。今からね、もう二十何年も前に作ったアフターディナーのあの盤ですら、「お前ら、抜けないだろ」みたいな、そのぐらいの自負があるんですよ。だけど、やっぱりそれを言うと大手のレコード会社とか「あんたは良い音とか、音楽作ってるつもりでしょ?僕たちは夢を売ってんだ」って(笑)

 (笑)

 でも、我々が何かモノを作り出すっていうのは、やっぱり夢とか希望だろうと思うんですよね。やっぱり支えてる部分は、それがね、僕アピールできてないんじゃないかと思うんですよ、ひとつには。

 うんうん。

 灰野さんは、どうしてるんでしょうか?

 明日やります。

 明日やるんですね(笑)明日、それどうしているかをお見せするんですよね(笑)。

 明日、大変な思いをします。

 最初の一音出すだけに、二時間使い切っちゃう(笑)

 どうなるんですかね?

 ちょっと…、困ってます。

 まあ、でもすべて明日観て頂いて。

 僕の場合はね。

 ただどうですか?あの、たいへんですよね?今回のは。見られました、お客さんは?

 もう、あの人がいっぱい来て、みんな座布団持って来てほしい。

 そういうことらしいですよ(笑)

 いっぱい来てください。

 いや、僕も明日たいへんなんですよ。「これでどうだ!」みたいのが来るでしょ?それを先に読んでおかないと、録音っていうのはもうアウトですから。

 はい。

 要するに、演奏者が要求する視点を先回りしておかないと、後からでは手遅れですからね、そういう意味では。

 確かに。

 で、その時にどのぐらいのどんな音が来るのかっていうのを、おおよそ、その予想が出来ていないと全部を網羅することは…。特にライブの録音は、そういう意味でスリリングですね。

 明日の場合、ダイナミックレンジがどうこうは作れないもんなぁ。如何に音を止めるかっていうことしか考えてないから。なんか、色々なもの使うよ。



「輸出した音楽」

 まあ、それは明日観て頂くとして。とりあえず、まだ何か?ちょっと、まだ早いですかね。すみませんね、仕切り悪くて。で、灰野さん一昨日帰って来たとこですよね?ヨーロッパからね?

 ええ。

 昨日の夜に大阪に来て。今、海外年間どれくらい行かれてます?

 うーん、4回から5回。

 4、5回。

 一回が一週間から二週間。

 短い時って、一日でトンボ帰りとかもあるでしょ?

 そうそう。

 例えば、明日ね、まあこちらの芸大でやりますけど、海外とかだったら最初に行かれたのが1981年ですか?

 うん。

 ニューヨークですよね?で、その頃から、例えば日本のライブハウスだったら、当時のどこですか?マイナーとかだった、お客さんがそれこそ二人とか五人とか、そんな状態で。で、海外に行ったらそれなりに、まあ向こうからしたら外タレさんだから、お客さんはそれなりに入るけれど、それ以上に受け入れ側。海外での受け入れ側っていうのは全然日本とは、その状況が違うでしょ?まあ組織的にしっかりしてるっていうのもあるし、あとお客さん。

 うん、その呼ぶ側っていうね。それは、もう明らかに違います。

 違いますよね。それは勿論、例えばちゃんと国なり、然るべき所から呼んでくれてるのは個人なんだけど、その人達はちゃんとバックを持っててお金もらってやってるっていう。だから日本だったら、まあNPOみたいなのは確かにここ何年かはあるけど、やっぱりなし崩し的にダメになっていってて、全然もう日本の状況っていうのはダメダメな訳でね。だから、まあどうしてもまじめにっていうか、灰野さんとかであったり、まあ宇都宮さんもそうですけど、こう海外に行かざるを得ない状況っていうのはあるでしょ?

 それ言い始めるとちょっとキツい…。

東 キツいですよね?(笑)

 でもいいチャンスだし、もう当時から20年も経ってるし。

 確かにね。

 爆弾発言ではないけれど、あんまり限られる人にしかしなかった話、しましょうか?

あの、本来だったらそういった輸出が可能な音楽、僕らそういう意味で輸出をある程度成功させてる人達、まあどれぐらい儲かってるかは置いといて、それなりの評価があるっていう点でね。とにかく、灰野さん、それからアフターディナーのようなものは、その先駆けというふうに言われているようで。まあ、それは自他共に認めるところなんですが、その当時アフターディナーは総勢10人でツアーやってます。国内のツアーは40人規模だったんで、「それがマイナーか?」って言われるくらいエラい規模だった訳です。しかも、それは組織された団体ではなかった。自主的にいろんな人達が参入してくる、本当に理想型に近い形だったんですけどね。海外に最初に行ったときには、10人の規模で。だから、旅費だけでも今と違ってかなり高かったです。

で、実際その僕が一番衝撃を受けたのは、向こうでその日本のね、あの、まあこっちから行く前に旅費くらい何とかならんものかと。要するに、文化交流の資金が使えないかと、国際交流基金とかいうものがあるんですけどね。それ以外にもいろんな基金があるんですが、まあその申請に行ったんですよ。で、勿論最初の年はアウトで、二年目以降バンバン出てるんですけどね。最初の年アウトで、オランダに行った時かな、交官とね、日本のそのそっち関係の交官と一緒にね、夕食を食べる機会っていうのをセッティングしてくれて、フランスの文化省かなんかの口利きで。

でも、まあ日本の交官とその時やっと初めて話しが出来たんだけど、その内容がね、凄く驚くべきもので、「我々は、伝統芸能ではなく文化として日本から輸出できるような、近代の芸術作品があるとは思っていない」と(笑)。政府がそういう認識だと言うんですよ。まあ、言っていいのか悪いのか。それは、僕は非常に衝撃的、「あっ、そういうことなのか」と、「国がそういう体制なのか」と。まあ、勿論それは二十何年前の話しで、その後我々が実績を作って来たんで考えは多少変わって来ているかもしれないです。でも二年目以降それが出るようになったのは、コネですからね(笑)なんとかせにゃならん、じゃあ議員を丸め込んでしまえ、みたいなね、まあそっちで出るようになった。だから本質的な改善ではないんですよね。

ただ、国の方針として、輸入はするけどそういった表現系の活動に対して輸出する意思がないのだなというのはね、その時に痛いほど、僕は思い知りました。で、結局あの、これも爆弾発言になるんかな?ジャパンファンデーション(註:1972年に設立された外務省所轄の特殊法人。文化芸術交流・海外での日本語教育および日本研究・知的交流を活動分野としている)が出来た理由っていうのは外圧なんですよね。「よそは持ってるのにお前のとこはなんで無いんだ?」と。という訳で、「やむなく基金を作った」っていうことまで。「対面保つためだ」みたいなね(笑)それは、その担当官から直接聞いた話なんで、もう二十何年前ですから今は体質も多少変わってるでしょうけど。

まあ、とにかくそんな時代でしたね、昔は。驚くべきものでした。逆にいうと、その中で自力で灰野さんや我々は輸出に成功し、僕はその後、少年ナイフの輸出に成功してますから、そういう意味では非常に華々しいというか、でもお金は全然入らなかったですけどね。もう無惨なくらいで、「誰が持っていくの?」みたいな。

 でも、最初ツアー行く時っていうのは、みんな持ち出しで行く訳ですよね?

 そうだよ。

 まあ三回目、四回目くらいでようやく、なんとかお金もらえる状況で。

 そうだね。

 勿論向こう行ったら、まあバンドだったらね、自分達でバン借りて車で移動でも全部やるっていうようなそういう状況でしょ?今は、割とね簡単に。

 今はもう道筋がね、だいたい出来ちゃってて。あの、外へ出ようと思ったら色々申し込み先っていうのもあるし、日本から外へ出すひとつの流れっていうのが、もう出来てるんで、それも、我々が築いたもんだと本当に思います。あの、それほど不可能ではない、それなりの中身を伴っていれば、結構可能だったりします。

 だからね、よく大きなレコード会社のメジャーアーティストが単に箔付ける為に、「海外でなんとかやりました」っていうのと、そんなもんと一緒にしないでねっていうのがね(笑)

 あれは論外。

 論外ですね、でもまあ70年代なんて言うのは、それこそサディスティックミカバンドとか、YMOとか。でも、あれにしても大きなレコード会社がね。

 東芝でしょ?

 東芝なりアルファなりが、仕切ってやってくれてたわけで。それ以後、80年代にインディペンデントっていうかたちで行けたのが、やっぱり灰野さんだったり宇都宮さんだったり、まあ少年ナイフ、ボアダムズであったりとか。それが、やっぱり今に繋がってるっていう。

 あの、こういう話しすると、どうってことないと思うかもしれませんが。例えば、さっきも楽屋で盛り上がってたんだけど、当時ね?あっ、言って良いかな?

 何がですか?

 ヒースロー空港の。

 それはね、今でも同じです(笑)。

 あのね、イギリスはね、日本と逆で。「音楽は輸出はするが、輸入はしない」っていう徹底した政策でね、ヒースローで追い返されるっていうのは、今でもそう。

 いっぱいありますよね?

 あの、日本のバンドでいうと、ラウドネスか?

 BOWWOWですね。

 BOWWOWか。BOWWOWなんかはメンバーが半分、スタッフ全員ヒースローでそのまま国外退去。メンバーが二人入国できただけ、勿論演奏は出来ないです。で、その後もう一回申請だの何だのやって出たときには、コミックバンドとしてツアーしなきゃいけなかったっていう。なんと言う酷い話しなんですかね。

 それは、イギリスは元々60年代は斜陽の国だったでしょ?今、凄く景気良いですが、イギリスは。で、斜陽の国で外貨を稼ぐ輸出産業が音楽だったんですよ、ビートルズとかね。だから、ロックミュージックが輸出産業として、それで外貨稼いでたから輸出はするけど入ってくるものに関してはミュージシャンユニオンがガシガシにセーブしてる訳ですよね。だから、なんで日本のミュージシャンとかあんまり、なんでイギリスでそんなにやってないんだろう、アメリカとかヨーロッパばっかりみんなツアーしてるでしょ?イギリスはそういう理由があるんですよ。

 根本的にもう無理。無理っていうか、何もそういったちゃんとした受け入れ…、なんていうかな、受け入れ…。

 「来ないで。」っていう、そんな感じでしょ(笑)

 やっぱり、その輸出の場合、完全に文化であるって認められると入り易いんだけど、興行であると思われたらアウトなんですよ。そこが非常に重要なとこで。文化はOKだけど興行はアウトなんです。

 だから、あのロックミュージックだって言ったらだめなんですよね?

 ダメ。

 そうそう。

 ジャズだって言ったら入れたりする(笑)

 ジャズとか、日本の伝統音楽。

 いや、現代音楽が一番いい。

 現代音楽だって言ったら入れるんですよ。

 あのー、その辺が非常に難しいところでね。

 ロックミュージックって言ったら、それはもう産業音楽だっていうふうに。

 コミックミュージックはいけるっていうことですよね(笑)

 演芸だから。って、そういう考えかたじゃないですか?

 だから、端で見るよりも音楽を輸出していくっていうそれはイギリスの話しで、他は入っても全然受け入れられないっていうこともあるし。それは、単に文化が違うっていうだけではなくて、やっぱりその日本からホントにね、打ち出すものっていうのを、どう打ち出すのかっていうこと。日本の中で音楽考えてると、日本の中用に音楽を考えてしまう習慣がついてしまうわけです。

どういったらいいのかな?内輪受け?内輪受けのことばっかりしか日本に居たら考えなくなってしまう。で、それは音楽の分野を問わずなんですよ。分野を問わずってここが恐ろしいところで、それはロック・ポップスだけだろうと思ったら大間違いで実はそうではない、他の分野でもだいたい似たような状況があって。だから、外でうまくいったら逆に帰って来れないとかね。

あのエンジニアリングでもそうなんです。例えば、レコーディングの腕利きの日本人って本当にね、たくさん居るんだけど、出て向こうでいけるようになると日本に帰って来れないのね。あの通用しない、通用しないっていうか引かれちゃう。引かれちゃうっていうか、排除されてしまう。だから、それは凄い恐るべきところで、これを何とかしなきゃいけない訳ですよね。

僕らは、昔は例えば洋楽聴いてた。でも、今の若者は洋楽聴かない。あの、J-POP聴いちゃうのね。で、その辺の感覚っていうのがすごいこう、話しが通じにくくなってるっていうのは言えると思うんですよ。まあ、ちょっと後進の育成の話しに戻るけど。

何が言いたいかっていうと、まずそういった外の世界がどうなってるっていうのをもっと我々は伝えなきゃいけないと思うんですよね。日本の中だとそうだけど、例えば外ではこんなふうなものの考え方だよ、みたいな部分ってそれは面白いわけじゃないですか。多分、海外話すると一晩では終わらないくらい、「おー」みたいなところは凄くあるんですが。例えば、そういうことを音楽と絡めて色んな部分っていうのをもっと解り易く出していかないとダメなんじゃないかなというふうにちょっと。で、最近僕はその、音楽の演奏とかCDの出版に代わるといったらなんだけど、講演会よくやってます。レクチャーライブっていうのを。

 あー。

 で、その中で勿論たまに演奏もやりますし、実際のソースかけることもありますが、基本はそういう意味でお話し、それも勿論練りに練った内容なんですけどね。で、ちょっと演奏のみの部分からちょっと一歩退いた、ああそれも「私はこうしている」のうちのひとつですね。まあそういう考え方もあるかなっていうふうに思ってます。

 じゃあ、明日灰野さんは“こうしている”をお目にかけて頂いて、そろそろ時間みたいです。今日は、どうもありがとうございました。

灰・宇 ありがとうございました。 

2009年11月3日 MUSIC OF NEW REFERENCE 2009 in KYOTO につづく。