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ことのはじまり
2009年11月3日「ミュージック・オブ・ニュー・リファレンス 2009 in 京都」の本番当日、
レセプションで参加していただいた大阪アーツアポリア・園田純子さんより、鈴木昭男氏が弥生時代の遺跡を訪ねる旅に出ることを伺った。
しかも自転車(ママチャリ)で、よりによって山陰である。

「日本の音楽の源流は、山陰地方にある」

以前、ご本人からこのような事を伺っていたが、
「それなら旅の途中で昭男さんと何度か落ち合って、録音のお手伝いなど出来たらいいですね。」と
その場では生返事をし、怒涛の本番を迎えたのであった。

それから、一週間後。

幼少の頃より山陰で育ったため、記憶に残る風景と共に旅の工程を想像してみたが、
どう考えても「確実に死ぬ」という答えしか出てこない。

冬に向けて予測不可能となる山陰独特の気候や、決して自転車旅行には向いていない道路交通事情、
過疎地になればなるほど厳しくなる宿泊の問題…。

周りの者に相談しても、「無理やろ(笑)」というのが、大方の予想であった。

しかし、
古きを訪ねて新しき音楽を知りたいという好奇心と、
「断片的な記録では、完全なアーカイブとはいえない」と厳しく躾けられた事が鞭打つこととなり、
旅の全工程を記録させていただくことを申し出たのであった。

2010年7月1日 Music of New Reference 能美亮士

「さ・ね・と・り」 弥生の音を訪ねて・・

旅の出発前となる2009年11月16日、鈴木昭男氏より「さ・ね・と・り」の冊子が送られてきた。 その中から、旅のコンセプトとなる文章を転載する。

「弥生の音を訪ねて・・」

 浜に立つ足を いつしか波が浸し始めたような 旅の案

 いにしえのロマン はたまた今になって私探りの幕開けか・・

 この十年来 ことあるごとに人に言い 怠け性の身を ここに追い込んで来たとも言えるこのこと

 私の住む 京丹後市の市制五周年を記念する式典がこの11月21日にあり  
その席で「弥生の土器」を吹奏する手はずになっていて その二日後の 23日を 旅立ちと決めている

 祈りも祈り「うらにし」という向かい風に加え 昨年などは 雪が降り始めた時期 友人たちは この無謀さにあきれる始末

 今年111個の「陶けん(土偏に員)」レプリカ試作の中から選んだひとつを携えての旅となる

 私は 今から21年前に 子午線上の自然の中に「日向ぼっこの空間」という 
サウンド・プロジェクトを遂行し終え 丹後の地に住み 耳を澄まし始めた頃 この土笛の存在に出合い  
現代人としての失いつつある感覚を蘇らす姿勢を与えられて来ました

 昭和41年 下関市の綾羅木遺跡で発見されてより 
山陰の遺跡に点々と出土するこの笛の分布は ここ丹後にまで至っているのです 
このことから 丹後を発して下関へと その時代の「音楽文化圏」を探りたいと思い立った次第です

 以前 当地の途中ヶ丘及び扇谷遺跡に佇んだ時 
風景のなせるところか曲相が湧いて出たことが 遺跡たどりを思うきっかけとなりました

 普段 乗り馴れた赤い「ママチャリ」でのスローな旅のもようを生まれでる旋律や紀行文としてわが手に残せたらと 
68の齢をも顧みず 敢行の日和を迎えんとする次第です

鈴木 昭男 11/10/’09 記 (さ・ね・と・り 冊子 1項より転載)

「さ」 は 「五月」 「五月雨」 「早苗」 など 稲作神の尊称 「ね」 も 「音」の和古語であり 
それを 「たどる」 意味で 既に「さ・ね・ど・り」としていた

よって この私的プロジェクトの名称を「さ・ね・と・り」と改め 副題を(弥生の音を訪ねて・・)とする

鈴木昭男
15/10/’09 記
 (さ・ね・と・り 冊子 11項より転載)

毎朝 弥生の土笛を吹いていながら 気付かなかった・・

何か 気配を感じて窓に目をやると 一羽の小鳥が 腰高の
窓から首をかたげてのぞいていた

そこで 笛を置くと その小鳥は傍らの桑の枝に移って
あそんでいるようだったが ぼくが音を出し始めると
また 窓にやって来て 同じポーズでじっとしている・・

ときどき やもたてもたまらずの風で 羽ばたいて窓ガラスに
当たるのが痛々しく 笛を吹いていられなくなってしまう
これが 三日間つづいているのだ

いっそ窓を開け放ってやろうと思うのだが・・
どんなことになるのだろう

近々の旅立ちに この小鳥とのお別れが ちょっと寂しくも
なって来た

鈴木昭男 15/11/2009
(さ・ね・と・り 冊子 11項より転載)